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湊 晶子先生/Akiko Minato


東京女子大学 元学長
国際NGOワールド・ビジョン理事
(2014年より広島女学院大学学長)
専門分野:初期キリスト教史

2010年まで東京女子大学の学長を勤めていた湊晶子先生は、2013年81歳を迎えた。退任されてからも、国際NGOにてアジア代表国際理事を勤め、国内外を飛び回る日々を過ごされている。さらに現在も毎年論文を一本執筆することを目標としている。どのような学生生活を歩み、パワーを培ってきたのか。


人生の足がかりを得た大学時代

湊先生は東京女子大学の卒業生である。当時、東京女子大学は短期大学と4年制大学があり、4年制大学の英米文学科を目指していた。しかし1951年の試験日当日、暖を取るための練炭により一酸化炭素中毒にかかり、受験を断念せざるを得ないというハプニングに見舞われた。2日後にあった短期大学の英語科の試験を受け、入学が決まった。第一志望ではなかった英語科であるものの、授業も日常会話も全部英語という徹底した英語漬けの2年間を過ごした。また、タイプライターの授業での努力が実を結び、タイピストの1級を取得した。

「これらの経験がその後の人生を決めました。2年間で、ディベートできる英語力、会話ができる英語力、さらにタイピングという技術を身に付けました。」


短期大学卒業後、4年制の東京女子大学西洋史学科の編入試験を受けて入学した。


「女性初」づくしの留学

東京女子大学卒業後、国費留学のできる日米教育委員会の「フルブライト奨学生」としてアメリカの大学院へ進学した。この奨学金の応募者は約2万人に登ったにもかかわらず、合格者35名の中に入ることができた。


「新約聖書の時代史を勉強したいという想いから、アメリカのホイートン大学大学院神学部へ入学を決めました。当時は、公民権運動が始まったばかりの格差があった時代。そのため、神学部には女性は入れないと言われていましたが、日米教育委員会を通して交渉し、女性として初めて神学部に入学しました。」


さらに、当時アメリカでは女性として初めて、神学修士(Master of divinity)のコースに入学が許された。ホイートン大学との親交は続き、2008年に卒業式でのスピーチの依頼を受けた。スピーカーがアジアから呼ばれたのは初めてで、さらに女性が呼ばれたのも初めてだった。


学生生活で見出した信念

学生時代での多くの挑戦を支えた信念は、東京女子大学創設者、新渡戸稲造先生の「To knowよりTo do、To doよりTo be」、つまり「知ることよりも実行すること、実行することよりも自分として存在することが大事」という言葉であった。


「私は私である。人と比較しなくていい。締め出されたらそれを突き抜けるくらい私の存在を通したいと考え、良い意味での自信と責任感を学びました。」


自分の理想の人生を描くレールを敷いても、その通りに実行することは難しい。しかし先生は自分らしさを突き通し続け、あるとき振り返って初めて自分の轍が人生として描かれていることに気づいた。


「人生は白地図です。自分の責任をしっかり果たすことで自然と描けるのです。」


教育者として、研究者として、母親として

湊先生は大学の教壇に立ちながらも、母親として、研究者としての自分も貫いた。「時間は全ての人に公平に24時間ある。自分の時間は作り出すもの。バランスをどうとるかということが一番大切。」と強調する先生は、どのようにワークライフバランスをとっているのだろう。


仕事での自分ルール

先生は人生の中で一番仕事をしたのは60歳から80歳までの20年間だと振り返る。学長であった70歳から78歳の間に本を2冊書き、論文も必ず毎年1本出した。これらは自分で自分に課したルールである。


「教授の方々と仲間として働きたかった。社長のような迫力と大学教授たちとのCo-workerとしての責任が必要だと思い、本や論文を出すように心がけました。」

学生に対する教育理念も徹底している。


「日本は、人よりも突出すると矢面に立たされたり噂になったりする『出る杭を打つ社会』です。私は『出る杭を育てる教育』を心がけてきました。」


泣きながら学長室に来る学生は、先生に励まされることで元気になった。学長室は「サロン・ド・湊」と呼ばれるようになったという。

今後も2冊本を出版する予定があり、さらに国際NGOワールド・ビジョンの理事にもう一期選出された。任期は3年。


「84歳まで飛び回っていることでしょう。人生の最後まで途上国の子どもたちの教育と環境の充実のために捧げたいと思っています。」


ワークライフバランス

仕事と生活のバランスをとる上で最も困難なのは、子育てと仕事の両立だと先生は語る。育児休暇なども整備されていない時代であったが、アメリカ社会を見て「自分が負けたら日本の女性の道は閉ざされる。もう日本は追いつけない」と強く思い、仕事を続けながら3人の子どもを育てた。


「3人目の時だけ1年間仕事を離れたけど、2人目までは離れていません。お産が終わって立てるようになったら、すぐ教壇に立ちました。」


44歳で夫を亡くしてから、当時高校1年と中学2年だった息子、小学4年生の娘を「ママについてこい!」と育て上げた。さらに、子育てと仕事に加え、継続的に毎年1本論文を執筆してきた。


「子供が小さい時は、子供が起きているときは一緒に遊び、どんなに部屋が散らかっていようと、子どもが寝たら書いていました。」


そんな先生の家は、冷蔵庫やトイレを始めメモが貼りめぐらされているという。家事の最中でもアイディアが浮かんだらすぐ書きとめる。それこそが、子育てが苦にならなかった秘訣なのだ。


「15分しかない世界と15分もある世界は違う。15分を4つ集めたら1時間でしょ。今は一人暮らしなのですが、24時間全部自分でコントロールして規則正しく生活をしています。」


子育てから学んだ「キャリア」

子育てという仕事は、決して社会から脱落しているということではない。次の世代を担う子どもを育てる大事な仕事である。先生は子育てを通じて、「報酬が得られる職業に就いている時だけがキャリアなのか」と疑問を感じ、「キャリア」という言葉を自分なりに定義した。これは「男性」の定義するキャリアとは異なる。


「例えば、同志社大学キャリアセンター長の神谷先生は、『キャリアとは、ある人の人生における長期的な職業経験の軌跡とそれへの意味づけ、及び職業プロセスを通じて形成された職業能力の蓄積である』と言います。しかし、私はそう思いません。主婦労働、ボランティア活動、文化形成活動、定年退職後の活動などの具体的に金銭化されない労働は人生における素晴らしいキャリアだと思う。つまり、報酬のでる職業に就いているときだけがキャリアではないのです。


湊先生の定義するキャリアとは、「各個人が、全生涯に渡って形成した労働生活全体」を指す。そうやってキャリアを捉えれば、人生は楽しいという。


「結婚しようが出産しようが、やろうと思えばいくらでもできるし、もっと世界は広がります。生活を自分で作りだすということが、自分の一生を支えるということなのです。」


ポジティブ・シンキングで

先生は「ポジティブ思考で、新しいアイディアを生み出していく人じゃないと研究者にはなれない」と考える


「明るくポジティブに考えることができるというのは、研究者にとってもものすごく重要です。ネガティブになってしまうと発想が止まってしまう。」


そんな先生がポジティブ思考を維持する原動力は、聖書と色々な人との出会いにある。 先生は5代目のクリスチャンであり、聖書は毎日欠かさず読む。『ピリピ人の手紙の4章の13節』の「私を強くしてくださる方のおかげですべてのことが可能です」という言葉に励まされる。


「自分の力だけでなく、上(神)よりの力で引っ張っていただくことで、達成することができるのです。」


その言葉通り、ビンセント・ピールの著書『ポジティブ・シンキングの秘訣』の「あなたなしでも地球は回る」という言葉に落ち込む心を立て直してもらった。さらにハワイの画廊で買った、画家ラオ・チャンが軽井沢雲場池の紅葉を描いた『KOUYOU』という絵画から、「紅く色づいてもKOUYOU、黄色に色づいてもKOUYOU」、「自分色に色づけばいい」いう励ましを得た。そして、ヘンリー・ナーウェンというハーバード時代の同僚からもらった言葉も生涯を勇気づけた。ハーバード大学教授という名誉ある職を捨てて、カナダにある知的障害者のための共同体の牧師になった人である。ヘンリーは悩んでいる湊先生に、「Crushed grapes can produce delicious wine.」という言葉をかけた。


「ワインはCrushされて初めておいしいワインになるのです。人生もそういうものです。なので、いくらCrushされてもいいじゃないですか。」


このポジティブ思考は子育てにも応用してきたという。「迷惑になることをしてはならない」と否定型で育てるのでなく、「人の喜ぶことをしなさい」と子どもの視野を外へ向け、積極性を養うよう心がけた。


後輩へのメッセージ

「全てのこと相働きて益となる」という言葉を、人生を通して実証した先生は、「継続は成功の鍵だから、若いうちになんでも挑戦することが大事」だと強調する。


「若いうちに英語を学びなさい。80歳になっても通用する。英会話でなく、ディベートができないとだめ。ディベートは人の言うことを咀嚼して反論するということです。だからボキャブラリーだけでなく、センテンスを覚えること。」


「もう一つ若いうちに身につけるべきことは切断力。判断は誰でもできる。そして、決断も。しかし、切断がなかなかできません。誰かが犠牲になって道を作るためには、反対を恐れず切断していかなければならないこともある。これがリーダーシップだと思うのです。」


また、初めから知識も経験もある人はいないのだから、仕事において役職が上がっていくことを恐れてはいけないと語る。


「学長職がどういうものかなんて、経験から学んでいかないといけません。機密をもらせないから誰かに相談することもできません。しかし、問題から逃げたら何も始まらない。まずぶつかることが大切です。自立して人を頼らず、孤独とストレスに勝つ強さを持つこと。すると、人間性も鍛えられ信頼も勝ち得ることができます。そういう女性になってもらいたいです。」


<インタビューを終えて>

湊先生の今に続く軌跡を伺い、強い信念だけでなく苦難を受け入れるしなやかさに感銘を受けました。両者を併せ持つことが、経験を力へと変える強さを引き出すのだと感じました。
「全てのこと相働きて益となす」という言葉を信じ、どんなことも恐れず経験するよう心がけたいと思います。たくさんの刺激を受ける貴重なインタビューとなりました。
(博士前期課程2年 池田知歌子)