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ステファニー・クープ先生/Stephanie Coop


東京女子大学 非常勤講師
(2014年より青山学院大学法学部 准教授)
専門分野:国際法


「社会をよりよくするための研究を目指して」


先生は何故、日本にやってきたのか

日本語に興味を持ったきっかけは、隣の家の娘だったという。


「彼女は日本に暮らしたことがあって日本語が上手で、日本語はキャリアに有利だとアドバイスしてくれました。私も、色々な点で大きく異なる国の言語を勉強してみたいと思ったので、語学のターゲットを日本語にシフトしました。」


中学・高校とフランス語を学んでいた先生だったが、オーストラリアのモナッシュ大学では日本語科に入学。

大学卒業後、日本がどんな国なのか自分の目で見たい、自分の日本語能力をもっと磨きたいと思った先生は、日本にやってきた。
大学で中国語も勉強していたので、中国に行くことも考えていたが、当時本格的なベジタリアンだった先生は、中国はベジタリアンにとって住みにくいのではないかと思い、結局日本を選んだ。


東ティモール連帯運動への関わり

日本にやってきて、翻訳会社で働いていたクープ先生。
数年が経ち、仕事にも慣れ、新しいチャレンジをしてみたいと考えるようになったとき、東ティモールの問題を思い出しました。


1975年、インドネシア軍がポルトガルの植民地だった東ティモールに侵攻。国際法違反であるとされながら、アメリカやオーストラリアは、インドネシアとの利害関係を重視し、インドネシア軍による不法占領と激しい人権侵害を黙認していた。


オーストラリア人として、自分の国の政府が巨大な不正義に関与している事が気になったというクープ先生。モナッシュ大学在学中、友人が東ティモール連帯運動に関わっていた事もあり、関心はずっとあった。
しかし当時は、勉強や遊びで忙しく、


「やらなければならないと思っていたんだけど、なかなかやれなかった。」


クープ先生は、日本にも、東ティモールの自決権行使の実現を支援する『東京東ティモール協会』という団体が存在する事を知り、入会。
東ティモールに関する記事を書いたり講演会を手伝ったりしてきた他、東ティモールの独立を問う1999年の住民投票では、国連認可監視員をつとめた。


大学院進学を決意

そして、この連帯運動への参加を機に、国際人権法・国際刑事法に関心を持ち、2003年に青山学院大学の大学院に進学した。関連文献の多くが英語で手に入ったことは研究に便利だったが、法学特有の日本語を身につけるのは大変だったという。


「博士課程ではずいぶん時間をかけてしまいました。国際刑事法の知識も不足していましたし、専門分野の研究や論文執筆に必要な日本語も身につける必要がありました。結局、博士号を取るまでに6年近くかかってしまいました。今、 振り返るともっと早くできたとは思いますが、仕方ないですね。」


博士論文の成果は『国際刑事法におけるジェンダー暴力』というタイトルで日本評論社から出版され、 2013年にはジェンダー法学会西尾学術奨励賞も受賞している。

大学院修了後、青山学院大学にて非常勤講師(国際法)として働き始めた先生。また、専門分野の外国語を身につけた自らの経験を生かし、東京大学や東京女子大学では専門英語の指導も行ってきた。


オーストラリアから離れて、気づいた事

2011年から始めた青山学院大学での国際法授業で、ジェノサイド(集団殺害犯罪)について説明したときのこと。ジェノサイドの一つの類型(ジェノサイドのターゲットとなる集団の児童を他の集団に強制的に移すこと)に関する実例を挙げようとしたが見つからず、定義だけの説明に留めた。ところが、学生がやってきて「本当にこのタイプのジェノサイドは歴史的になかったんですか」と質問したという。


「その学生は、何故かこの点にとても関心を持っていたので、それでは、もう一度調べ直してみますと答えたんです。もしあったら、来週授業でもう一度説明しますと。それで思い出したんです。オーストラリアで起きたことを」


オーストラリア政府が行った同化政策。
アボリジニと白人との間に生まれた子どものうち、肌の白い子どもを選んで、強制的に家族から引き離し、白人のコミュニティに入れる。オーストラリア国内の人権委員会の調査で、これがジェノサイドにあたると報告書に記載されていた。これに対してオーストラリア国内では、判断の是非を巡って未だに論争が続けられている。


しかし先生は、自国の問題であるにも関わらず、何故すぐに思いつかなかったのか、疑問を感じた。そして気付いたのは、自分が「この問題を忘れてしまう立場にある」という事だった。

「被害者だったら、絶対忘れない。忘れられません。
 私は直接の加害者ではないし、私が直接影響を与えた問題でもない。
 だから、聞いたことはあって、知ってもいたけれど、忘れてしまった。
 ただ、オーストラリアの白人として、こういうことは忘れてはいけない。
 好きか嫌いか、自分で選んだかどうかに関係なく、加害者の側のコミュニティに属しているのだから。
 やっぱり、自分の国の人権問題について、もっともっと勉強しなければならない。
 学生の質問、学生からのこのような刺激は、すごく大切ですね。
 本当に私の勉強につながっていて。その学生にとても感謝しています」


農業を始めてみた

博士課程の時に農業の授業を受けて以来、
「全部自分でやってみたい」と思っていた先生。
東ティモール協会で出会った夫や友人らと共に、秩父で土地を見つけ、3年程前から週末農業を始めたという。


「いつもコンピューターの前だと、世界が狭くなってしまう。時間がすごく早く経ってしまう感じで。だけど畑作業をするときは、瞑想するような感じで、時間がゆっくりと流れる。いい気持ちになって、リラックスができるんです」


これから・・・

「今後の目標としては、研究とは何かとか、何故研究をするのかとか…なんていうのかな、社会をよりよくするための、そういう事につながる研究をやりたいです。女性差別撤廃条約を日本で生かすための団体から、赤松良子ユース賞という賞をいただきました。この団体はとても大切な事をやっていると思います。現在は、国際委員会の委員として、この団体の活動に直接参加しています。


また、今後は大学の常勤教員として、自分のこれまで勉強した知識をもっと生かしていきたいと考えています。社会をよりよくするために、これまでやってきた活動を続けるだけでなく、日本の若い人に色々伝えられることを伝えていきたいですね」


<インタビューを終えて>

研究者になる人は、研究者になりたい人がなるものだと漠然と思っていました。私は研究者になりたいと考えたことはありません。けれども、これからの人生に おいて何らかの転機が訪れたとき、研究者となる道に進むかもしれません。 クープ先生へのインタビューは、誰にでも研究者になる可能性はあるのだということを教えてくれたと思います。
(博士前期課程2年 浜野宜子)