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第3回公開研究会 (2014年9月22日)

渡辺 浩 (法政大学教授)「どんな「男」になるべきか――江戸と明治の男性理想像とその変化」

「女」とは、そして「男」とは何か。また、それぞれはいかにあるべきか。その答は様々であり、変化する。しかも、その答が個々人の生き方を左右し、社会・政治の構造や状況と関連している。この報告は、維新の前と後の日本における男性理想像を主題とする。
徳川の世の初期において、武士は「男の中の男」だった(「花は桜木、人は武士」)。そう信じられることが、政治体制の安定と連関していた。しかし、様々な要因により、徐々に武士はその耀きを失っていった。一方、町人たちによる別の理想像も生まれた(「分限者」「大尽」「粋人」「通」「丹次郎」等)。誇りを失いつつあった武士たちのためには、中国の思想・歴史・物語から学んだ「義士」「英雄」「豪傑」という理想も登場した。幕末の「志士」はその延長にある。明治維新は、「志士」たちによる革命だった。その「成功」によって(「維新の三傑」)、その後も、「志士」「壮士」「国士」、そして「英雄」「豪傑」の理想は称揚され続けた(「富豪」「文豪」はその応用)。それは、一面で自由民権運動の活動家たちをも支えた。しかし、この男性理想は徐々に陳腐化し(「東洋豪傑」)、公然と批判もされた。


一方で、「紳士」が登場した。バンカラな「書生」からハイカラな「紳士」へという出世の理想も描かれた。また、「紳士」の応用として「紳商」「田舎紳士」等の語も造られた。しかし、『紳士録』の刊行が象徴するように、「紳士」は単に社会の上層の男性を指す語に速やかに希釈され、社会や政治への不満は「紳士閥」への反感ともなった。それは、一面で、「紳士」と対置される「豪傑」「英雄」への憧れを持続させる土壌となり、他面で、男性理想像を描けない「煩悶青年」たちの出現にもつながった。「煩悶青年」たちは「新しい女」たちと同世代である。彼等には共通の世代的背景があった。しかし、(一見、「性」に中立的な)「人格主義」「教養主義」も、「煩悶青年」たちには救いの手をさしのべたものの、実は、「新しい女」にはさしのべていない。では、戦後の「近代的人格」「主体的人格」「強い個人」の理想はどうか。その「性」の角度からする検討は、これからの課題であろう。