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第6回研究会 (2014年2月12日)

雨田英一 (東京女子大学教授)「長谷川如是閑「伝統と教育~教育者としての自覚~」(『改造』1952年7月)」

この評論は、戦時下で「伝統」継承の立場から積極的に国家教育論を展開していた長谷川如是閑(1895-1969)が、敗戦後の民主化過程においても引き続き同じ立場から国民教育論を論じていたことを示している。また彼の「伝統と教育」論が集約されており、戦前・戦後を貫く長谷川の基本的な考え方を捉える上で、重要な評論だと考えられる。


長谷川は、国体論的教育を伝統として復活させようとする政府と、それに抵抗する日本教職員組合との対立状況を意識して書いたと思われるが、その基底には、日本国民を「感化院(占領軍の支配下:雨田)に入れられた不良児」と見なさざるを得ないほどに、自主的な民主化への深い懐疑を抱きながらも、民主化の途を模索していた長谷川の深い思索が流れていた。それを、他の、『改造』掲載の評論や『私の常識哲学』(1954)等をも手がかりに整理しようと試みた。報告は論点が不明瞭であったが、いくつかの重要な論点を指摘され、柳田国男や和辻哲郎との比較について教示を得ることができた。


長谷川の考えは、理想的人物像を「職能人」とする「広義の教育」を日本の「伝統」とみなし、民主化の方途として再生・創造することにあった。「広義の教育」とは、人々の日常的な「生活」で営まれる「節度のある」「形」をとおした教育(「伝搬」)であり、学ぶ「意欲」を育み、「感覚」を「涵養」し、自己制御のできた、自発的な「行動」的「人間」を育てる得る有力な教育であり、民主化の「有力」で「確実」な方法だと位置づけられた。副題の教育者も一「職能人」としての自覚に立つべしとされた。


長谷川の「形」「型」の人間形成論は、丸山眞男も学んだと考えられているが、日常生活の感覚や感情を重視した「広義の教育」の機能と意義の捉え方とともに、大衆社会における人間形成のあり方を考える上でも、多くの示唆を得られる評論と考える。